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ルーマニアについての一般情報







国名:  ルーマニア
面積:  237.500 平方キロ
人口:  22.455.000 人
首都:  ブカレスト
言語:  ルーマニア語 (ラテン系の言葉). 第一外国語は英語です。そしてフランス語、ハンガリー語、ドイツ語
位置:  南東ヨーロッパ、黒海の西側;45度
隣国と環境:  西:ハンガリー(国境はドナウ川)、南西:セルビア, 南:ブルガリア、東:黒海
宗教:  ルーマニア正教87%、 ギリシャ正教6%、 カソリック7%,その他
人種:  トラキア人; ラテン系の民族
地理:  山、丘、平野、高原、ドナウデルタ、黒海 に囲まれている
主要な都市:  ブラショフ, コンスタンツァ, イアシ, ティミショアラ, クルジュ, シビウ, プロイエシティ, ピテシティ, アラドゥ

港 :  コンスタンツァ、マンガリア, スリナ
国旗:  青・黄・赤
国歌:  ルーマニア人、目覚めよ!
通貨:  LEI (レイ). (1Lei = 約40円)
軍役:  二十歳以上の男性に義務 大学卒業者は半年間、高校卒業者は一年間


祝祭日: お正月: 1月 1日、2日
復活祭: 4月または5月上旬 (毎年異なる)。 2005年は5月1, 2日 となります
勤労感謝の日: 5月1日
建国記念日: 12月1日
クリスマス: 12月25日、26日


ルーマニアの観光シーズン: ルーマニアは、一年中観光に適しています。ベストシーズンは、天気が良く過ごしやすい5月〜6月、9月〜10月と言えるでしょう。冬は特に山岳地帯で寒く、11月から3月中旬にかけてルーマニアの至る所で雪が降ります。
多くのスキー客が西ヨーロッパからルーマニアを訪れます。
7月と8月は暑いですが、湿気はありません。(ブカレストで約28〜36度)また、山岳地帯と海からの風が吹く海岸沿いは、それほど気温も上がりません。


資源: 石油 (1937年ヨーロッパ第二位、世界第七位)、メタンガス、石炭、鉄、塩、大理石、非鉄金属、銀、金 など。 ルーマニアの土地利用状況は平野40%、森26.5%、牧草地20%、果樹園とぶどう畑2.5%、川と湖3.8%、山6.5%、その他。


政治: 長い間敷かれてきた社会主義体制から離脱したルーマニアは、共和制の国に生まれ変わりました。旧共産党体質の流れをくむ政党はいまだ残っているが、単一政党制廃止、三権分立を打ち立てた救国戦線によって、チャウシェスク独裁政権は、1989年に倒れた。
経済の基盤は、農業が主体であったが、1992年頃から工業が発達し始めた。
現在の大統領はトラヤン・バセスクです。






ルーマニアの経済 Economy of Romania

主要産業:  総生産の50%は工業、25%農産と林業、15%販売、6%交通とコミュニケーション、4%建築1989年の革命の後には、国営工場が民営化されて経済は好循環しはじめ、それと並んで、中小企業として新しく設立された私営企業もルーマニア経済の発展に影響を与えました。
ルーマニアの主要生産物である小麦とトウモロコシ、野菜、果実、サトウキビ、植物油、ワイン作りも普及しており、多く農園が家畜なども飼っています。
ルーマニア産業は、鉄鋼や家具、化学製品などを生産しています。しかし、最も重要な部門は、石油、天然ガス、そして石油を原料とした石油化学製品などです。
また、鉱山業では、石炭やボーキサイト、銅、鉛、亜鉛、そして鉱石を生産しています。林業や漁業も現在、発展段階にあります。
1989年の政府は、ルーマニアを市場経済に変革しようと懸命になっています。


貿易相手国: ヨーロッパ各国、中国、韓国


輸出物: ミネラル燃料20%、 機械など20%、鉄24%、家具と木材15%、衣類12%、自動車やトラクター 9%、等


医療機関: 国営病院と医院は無料です。(賃金の3%が税金として徴収されています) 1990年後オープンされた私営医院は有料です。

ルーマニアの歴史 History of Romania

ルーマニアの歴史はあまり平和的なものとは言えません。この土地の歴史は、石器時代に始まり、ギリシア人が紀元前7世紀に黒海沿いの交易地点として発展させたことから始まります。

ルーマニア人の起源は、ダキア人またはトラキア人であると言われています。紀元1世紀にダキア人の王が、現在のルーマニアの領土を支配しました。そしてこの古代ダキアは、紀元106年トラヤヌス帝によって征服されました。ローマ帝国は、271年には撤退するものの、約3世紀にわたるダキア人とローマ人の混在、混血の結果、ローマの公用語であったラテン語を用いるルーマニア民族が次第に形成されていった。

4世紀から7世紀ごろまでは、フン族、ゴート族、スラブ族、など多くの異民族が侵入したが、7世紀から10世紀の間には、ルーマニア語が発達し、10世紀以降には農業を主体とした村落中心の封建国家が次第に成立していった。13世紀末から14世紀には、ワラキア、モルドヴァの両公国が建国されたが、15世紀末にはオスマン・トルコの宗主権下に入った。途中ワラキア公であったミハイ勇敢公がトランシルバニアを含む3国を短期統一したは、その後2公国が1878年まで再びトルコの統治下に入った。

1821年独立国家への道を目指しオルテアから火の手があがったワラキア、モルドヴァ両公国の革命は、失敗に終わった。1848年には、トランジルヴァニアを含む3国が革命を起こしたが、鎮圧された。その後、両公国の統一のみが認められ、モルドヴァ公クーザーが統一ルーマニア公国の君主となった。しかし、クーザー公の退位後に、ドイツ出身のカロル1世が君主となった。 トランシルヴァニアがルーマニアに併合されたのは1918年。第1次世界大戦後のことである。

しかし、1940年には、ソ連がベッサラビア地方を占領した。翌年には、ナチス・ドイツの圧力により、ルーマニアは第2次世界大戦に参加。1965年には、チャウシェスクが党の第1書記に就任した。 しかし、彼の独裁政治は国民の不満を買い、1989年12月、チャウシェスク政権打倒を目指して改革が行われたました。これによって、国会には2人の議長と多党政が発達し、1991年12月には、新しい憲法が承認されました。 その中には、ルーマニアは資本主義経済に基づく、言論、宗教、所有の自由がある共和国であると記載されています。







ルーマニアのドラキュラ伝説 Romanian Legends

ブラド三世 (ブラド・ツェペシュ / ドラキュラ公)ワラキア公 (在位1456〜62)。

若き日、コンスタンチノープル(現イスタンブール)遊学中にビザンチン帝国の滅亡(1453年)に遭遇し、支配者となったオスマン・トルコのメフメト二世の捕虜となる。やがて許されて国へ戻り、ワラキアの支配者となるが、約束であったトルコ への貢納金の支払いを拒否し、スルタンから派遣された兵士を生身のまま串刺しにした残 虐な行為から、ツェペシュ(串刺し公)とあだなされた。
ドラキュラの名は、彼の父が神聖ローマ帝国皇帝から受けた、竜=ドラゴンが彫られたメダルに由来する。 父はそれによってドラク ルあるいはドラキュラと呼ばれ、その名が子孫の家名となった。ドラク(DRAC)とは ルーマニア語で‘悪魔’のこと。
シギショアラに生家、ブカレストをはじめ、各地には彼にゆかりの城跡が残る。
「吸血鬼ドラキュラ」は、彼の行状を年代記で読んだアイルランドの作家、ブラム・ストーカーのフィクション。








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