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第七章 正教徒の心得

参祷の心得

ルーマニアの宗教―正教

正教会の信徒にとって、奉神礼に参祷するということは、非常に大切なことです。参祷することによって、祈り、学び、機密を受け、神と交わり、信仰を深めることができるからです。奉神礼に参祷するというのは、ただ単に心を合わせて祈祷するために集まるというだけでなく、神の臨在の前に立つということを意味します。特に聖体礼儀には、ハリストスの尊体尊血である御聖体を領聖するために参祷するわけですから、それなりの心がまえが必要です。そういう意味で、正教会の奉神礼に参祷する時に知っておくべきマナーや準備があります。

服装

聖なる神の前に立つという心があれば、それにふさわしい正装をして来るのが自然です。ジーパンにTシャツとかジャージや作業服などあまりにラフな格好や、極端に肌を露出させる格好は好ましくありません。かといって、あまりにきらびやかで人の注目をあびるような服装もさけたいものです。もちろん神様は外見でなく「心を見ます」(サムエル上16:7参照)。 しかし、その人間の心は、服装にも現れるものです。もちろん、あまりかしこまりすぎると「何を着ようか」と思いわずらうことになります(マトフェイ6:25以下参照)。あまり極端にならないようにだけ気をつければよいでしょう。

聖堂に入る時、出る時

聖堂は聖なる機密が行われる場所であり、神との交わりの場ですから、普通の建物に入るような気持ちではなく、畏れとへりくだりの心をもって出入りします。その心をもつために、その日最初に聖堂に入る時、そして最後に聖堂を出る時は、三回「弓拝」しながら三回十字をかき、心の中で「神よ、我、罪人を浄め給え」と三回唱えるようにします。立つという姿勢 正教会では祈祷は基本的に立って行います。正教会の聖堂にイスが少ないのはそのためです。「起立」という姿勢は「復活の生命」を象ります。

献灯

ろうそくに火をつけ、その炎に祈りの心をたくして、燭台に立てます。本数や場所などに決まりはありません。また、奉神礼の種類によっては、参祷者がそれぞれ手にろうそく持つこともあります(その場合、勝手に自分で火をつけるのではなく、神品から火をもらい、それを分かち合うようにしましょう)。

接吻

聖体機密のための聖器物など、また聖福音経や司祭が祝福するために使用する十字架には、神品以外の人は持ったり触れたりしないように注意します。ただし、信徒は、これらのものに接吻し、聖なるものへの敬愛の心を養います。またイコンにも頻繁に接吻して。気持ちを天に向かわせます。十字架にはハリストスの顔や体ではなく手や足の部分に接吻するのがマナーです。また口紅をべったりつけないようにも心がけたいものです。

禁食

聖体礼儀で御聖体を領聖するためには、その日は基本的に禁食することになっています。禁食の開始は日付が変わる深夜O時以降を目安にします。飲み食いだけでなくガムやたばこなどの嗜好品も口にしないようにします。領聖の前にそれらを摂取しないのは、御聖体が最も大切な食事であるからです。小学入学前の子供や高齢者、または常備薬の必要な人や病気の時などは、もちろん例外です。しかし、自分で判断せずに司祭に尋ねることが必要です。

痛悔

痛悔機密は、正教徒であれば基本的にいつでも受けられるものですが、日本正教会では、聖体礼儀で領聖する前には痛悔機密を受けておくことになっています。つまり、領聖を希望する人は、禁食と痛悔機密によって心の準備をするわけです。痛悔機密では、自分の罪を言葉で言い表さなければなりません。司祭は痛悔機密で語られた内容を絶対に他言してはいけないという決まりがあります。痛悔機密の中で何をどのように言っていいかわからないというのが最初の戸惑いであるのも確かです。しかし、痛悔機密を繰り返し受けることによって、痛悔とは何かがわかってきます。

領聖

領聖の時がきたら、胸に手をX型に組み、順番を待ちます。番がきたら自分の聖名を司祭に告げ、口を大きくあけて御聖体をもらいます。この時、頭を下げたり十字をかいたりしないように気を付けなければなりません。ポティールに頭や手を当てて粗相してはいけないからです。領聖したら別のテーブルにおいてあるパンとぶどう酒を食します。これらは、御聖体が口の中に残らないようするためのぶどう酒と、聖なる食事(領聖)の後にいただくべき聖パンです。

信仰生活

正教会には、戒律とか律法などは一切ありません。基本的に「自由」であるのが正教徒です。聖使徒パウェルは、「すべてのことは私に許されている。 しかし、すべてのことが益になるのではない」(コリンフ前書6:12)と言いました。正教徒にとってもすべては自由ですが、もちろん信仰生活にふさわしくないことは当然避けなければなりません。また、正教会には信仰をもち、また深めるための手段として、さまざまな習慣があります。聖伝の中に培われてきたそれらの習慣に従うことは、正教徒にとって非常に大切なことです。

祈り

自分の家で「小祈祷書」に従って祈りをすることはとても大切です。「小祈祷書」の中の注意書きにあるように、祈祷文の意味に心を合わせないまますべてを読み上げるのではなく、たとえ一つの祝文でも心を用いて祈ることに意義があります。 教会の奉神礼に参祷することは、信仰生活に欠かせません。毎週日曜日は、復活を記憶して聖体礼儀が行われる日ですから、できるだけ参祷するのが普通の正教徒のあり方です。また十二大祭、中でも降誕祭や聖神降臨祭、そして復活祭には必ず参祷し機密を受けるよう奨励されます。教会の暦に従って祭を祝い、参祷することは、自分の生活が成聖されることを意味します。ハリストスの福音が祭への参祷をとおして自分の生活に浸みてくると言ってもいいでしょう。

聖書

普段から神の言葉である聖書を読むことも肝心です。何か語られているのか、どんな出来事が記載されているのか、どんな表現があるのかを心にとめながら読みます。それらの言葉のもつ深い意味は、神品教役者の教導によって理解され得るものです。言い換えれば、正教会の聖伝から離れて個人的に勝手な解釈をしてはいけません。日本正教会訳の新約聖書は奉神礼で用いられますが、何の注解もなしに読むには少し難解であることも現実です。聖書を素読するという点においては、一般の書店に売られている口語訳聖書や新共同訳聖書といった日本語訳を利用してください。聖書を読むことをなおざりにしていては、信仰は枯れてしまいます。

正教会には、暦に即した「斎」の期間や日があります。「斎」とは節制の時です。斎をとおして自分自身を省み、より熱心に神に心を向け、祭を祝う準備をします。その中でも復活祭前の「大斎」が特に大切です。以下に「大斎」の手引きを簡単に説明します。大斎の期間、肉食をできるだけ避けます。可能であれば魚肉も食べないようにします(タコや貝類はよい)。また乾酪類と呼ばれるバターやチーズ、またミルクや卵も食さないようにします。アルコール類は、土曜と日曜以外、節制します。その他、男女の交わりや娯楽や祝賀なども控えます。正教会では大斎の期間はもちろん降誕祭の前の斎の期間など斎には結婚式は行わないのが常識です。

祈り、聖書を読み、斎をしても、「愛」がなければ何にもなりません。聖使徒パウェルは、「山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ私は無に等しい」(コリンフ前書13:2)と言いました。愛はすべての徳を包括しています。アガペーの愛で愛を実践するためには、忍耐とへりくだりと知恵が必要です。怠惰と絶望と高慢の心は、愛を妨害します。罪を憎みつつ人をゆるす努力をすることも重要な課題です。こうした愛が行えるように望みながら生活することを忘れてはいけません。

諸奉神礼

正教会には、機密や時課などの奉神礼の他に、個人的な情況によって行われる奉神礼があります。これらは自分の所属する教会の管轄司祭に依頼することが必要です。

埋葬式

正教会では死ぬことを「永眠」と言います。これは永久に眠ったままでいるとか、死者のたましいが眠っている、という意味ではなく、「復活」の意味を込めた象徴的な表現です。眠る者は必ずやがて目覚めて起きあがります。つまり、ハリストスの復活の恵みによって死はもはや死ではなくなり、やがて新しい生命にあずかれることをこの言葉は表しています。ただ毎日の就寝と区別するために「永い眠り」と表現しているわけです。ハリストスと結びつく正教徒同士の絆は、死によって切断されません。教会は、精神的な面において、生きている者、死んだ者に区別を置きません。生きた者同士が互いに祈り合うように、相手が永眠してもその祈り合いは継続されるのです。永眠者のためにハリストスに天国と安息と罪のゆるしを祈る行為は、愛の行いの一つです。

パニヒダ

パニヒダとは、ギリシャ語の「パン(すべて)」と「ニクス(夜)」と「オーデー(歌)」の三つの言葉の合成で、「夜を徹して歌う」つまり「徹夜の祈り」という意味です。昔、徹夜で永眠者の為に祈っていたことに由来します。それでパニヒダは「永眠者の為の祈り」を表す言葉となりました。今では「パニヒダ」を徹夜で行うことはありませんが、いわゆる「通夜」の時、親族や友人たちが永眠者の為に「聖詠(詩編)」のすべてを徹夜して読む習慣もあります。パニヒダの一部のみを歌う形を「リティヤ(「熱切な祈祷」の意)」と言います。永眠者のために祈る時には普通パニヒダかリティヤを行います。未信徒の永眠者のために祈る「異教人パニヒダ」という祈りもあります。正教会では原則として自殺者のためには奉神礼を行いません。自分の意志で神に背いたことが明らかであるからです。

モレーペン

「モレーペッ」という言葉は、もともと単に「(短い)祈祷」という意味で、聖人のとりなしを願う特別な祈りを指すこともありますが、日本正教会では慣習として「感謝祈祷」を表す言葉となっています。人生のいろいろな機会に神に感謝をささげることは必要なことです。七五三の習慣はもともと神道のものですが、子供の成長を祝い感謝し祈願する心は大切ですから、その機会に感謝祈祷をする習慣を日本正教会では取り入れています。同じように、成人式、入学、卒業、就職などなど、さまざまな人生の節目に感謝祈祷を献じるよう奨励しています。また、日本では初詣が盛んですが、正教会でも新年に感謝祈祷を行います。その他、自分の聖人の記憶目、すなわち「聖名日」にモレーペンを行う方も少なくありません。

成聖

正教会では物を聖にすることを「聖なるものと成す」と書いて「成聖」といいます。「成聖」は、汚れから清めるという意味ではなく、神とのつながりを回復するという意味で行われます。成聖するものは、教会と直接関係のある「聖堂」「聖器物」「祭服」「イコン」「十字架」「復活祭の卵」などの他に、私たちが日常生活で使用するものも対象となります。例えば、「上地」「家」「建物」「車」「バイク」「船」「果物」などです。新しく家を建て九時もしくは引っ越した時には「家屋成聖」、車やバイクなどを買った時には「乗物の成聖」を依頼することを忘れないようにしましょう。

旅行祈祷

長く遠い旅にでかける場合、その前に旅行安全を願う祈祷です。旅行は、ある意味危険なことに会う確率が高くなりますので、その中にハリストスの守護があるよう祈るわけです。特に海外に出かける時は、外国の正教会に行く機会もあるでしょうから、司祭に洗礼証明書を発行してもらうとよいでしょう。

病者平癒

重い病気になったりケガをした時などは、司祭を呼んで平癒の祈祷をしてもらいます。「病者領聖式」を祈ってもらい、床の上で御聖体を受けることもできます。また「聖傅機密」を受けることもできます。

産後の祈祷

赤ちゃんに恵まれ九時のため、産後一日目と八日目と四十日目に特別な祈祷があります。特に四十日目は、「主の迎接祭」にならうもので、母子ともに教会を訪れて、感謝と祈願をします。

廻家祈祷

司祭は、降誕祭後と復活祭後に祭の祝いを分かち合うために信徒宅を廻って祈祷する習慣となっています。その他、任意の時に家庭訪問することもあります。

代式祈祷

日本の正教会では神父不在の教会も多く、すべての教会が毎主日に聖体礼儀を行えるわけではありません。しかし、司祭がいない場合、一人の信徒を中心に「代式祈祷」という祈りを捧げることがあります。

献金と奉仕

神に「ささげもの」をするという行為は、信仰生活に欠かせない行いです。神にささげるものとは、もちろん「感謝」「讃美」「痛悔」といった「祈りの心」です。しかし、私たちは心だけで生きているのではなく、肉体とたましいが一つになった人間です。単に「心の中」でとどまることなく、行為や物をとおして神にささげものをするということが、旧約聖書の昔から新約時代の現在にいたるまで行われてきました。旧約時代には、動物や穀物などを献祭していました。新約聖書には、ハリストスご自身がご自分を献祭したことが強調されています(エウレイ書9章、他参照)。初代教会では、ささげられた物やお金を共有して信徒や使徒の宣教活動に役立てました(使徒行実4:32以下、他参照)。現在でも、正教会は「献金」によって支えられています。もちろん神さまにはお金や物は必要ありません。ただこの地上にある神の教会を維持し発展させるためには必要不可欠です。教会は神ハリストスの体です。神の教会のために献金したり奉仕したりする行為は、神への信仰の心の表明に他ありません。献金は現実には地上の教会のために使われるものですが、精神的な意味では神へのささげものなのです。

しかし、神にささげるものはすべて最初から自分のものではなくもともとは神様からいただいたものです。自分の生命も心も健康も仕事も家族も食べ物もお金も物もみんな神からの賜物です。本当は「ささげる」というより「おかえしする」と言った方がより正確です。このことを忘れなければ、自分の所有物から余った分を寄付するとか、しょうがないからしぶしぶ差し出すという感覚はなくなり、感謝の気持ちをもつことができます。

日本正教会では、現在、「定額献金」という形をとっています。「定額」とは「定期的に一定の金額」を献金するという意味です。「献金」は強制や戒律的な義務ではなく、あくまでも自由な心から感謝をもってすべき信仰的な行為ですので、厳格に金額の指定がなされることはありません。「定額献金」に対して世俗の会費とか税金などのような感覚をもたないようにしなければなりません。実際にいくらの金額にすればよいかは、各教会での目安を参考にして自分で決めます。仕事をして収入を得ている方はすべて定額献金をするのが本来です。具体的にどのように手続きをするかは各教会の会計担当の方にお尋ねください。「定額献金」があってこそ、事実、教会が運営され、司祭が派遣されます。「定額献金」は地上の教会の見える面での生命の糧です。

 

正教会では、「定額献金」の他に、復活祭や降誕祭を祝ってなされる「祭日献金」や、主教区の活動費のためになされる「篤信献金」または「宣教献金」、修復や建設などのために特別に呼びかけられる献金などもあります。

その他の習慣

正教会には、これまでに紹介してきた奉神礼や諸習慣の他にも生活に密着したさまざまな習慣があります。その代表的なものをいくつか取り上げて説明いたします。

聖水式

主の洗礼祭(神現祭)の聖体礼儀に引き続き「大聖水式」を行う習慣があります。ハリストスが洗礼を受けたのは、水で清められるためではなく、水を聖にするためです。水はあらゆる物質に含まれるものなので、「この世」を象徴しています。つまり水を聖にすることは、「この世」を成聖することにつながります。聖水式を行うのは、ハリストスの成聖の業を「やり直している」のではなく、「拡張して現臨させている」のです。「大聖水式」は、ところによっては川や湖に出かけて行って行われることもあります。町の中の教会では、専用の大きな容器に水を汲んで、その水を聖にします。聖水は、一年間保管され「成聖」するために使用されます。すなわち、さまざまな物(137ページ参照)や、信徒にも振りかけられます。また各信徒は、聖水をビンなどに入れて家に持ち帰り、いろいろな機会(病気の時、旅行の時、また普段の食事の時などにも)に飲みます。信仰をもって聖水を飲む者、または注がれる者には、聖神の恵みが与えられます。聖神の恵みとは信徒として健全に生きる力です。

復活祭の卵

復活祭には赤く染めた卵を飾り、食べる習慣が古くから行われてきました。一説には、マグダラのマリヤ(ハリストスの女弟子の一人)が、ハリストスの復活を告げ知らせるためローマ皇帝に謁見した際、赤い卵を献上したことに由来すると言われています。卵は、見た目には動きませんが、やがて新しい生命がそこから生まれ出るので、死と復活を象徴しています。赤い色は、ハリストスが十字架上で流した血の色を想    起させ、また「血は生命である」ので、新しい生命である復活をも意味します。つまり、赤も死と復活の象徴です。今では、より美しく飾りたいという気持ちから、赤だけでなく色々な色に染めたり装飾や模様を施したりもします。

糖飯

「パニヒダ」を行う時に、「糖飯」を用意する習慣があります。糖飯とは、穀物を炊いたものを蜜や砂糖で甘くした食べ物です。ギリシヤなどでは麦が使われますが、日本では餅米を使うようになりました。「一粒の麦が地に落ちて死ななければそれはただ一粒のままである。 しかしもし死んだなら、豊に実を結ぶようになる」                                (イオアン12:24)と言われたハリストスの言葉のとおり、穀物は永眠者の復活を象ります。聖使徒パウェルも復活を説明する時に、穀物を引き合いに出しています(コリンフ前書15:35以下)。甘くするのは、天国の甘美さを表し、旧約における神の約束の地が「乳と蜜の流れる地」(申命記6:3)と表現されたように、神の国のよき味わいを象ります。通常、皿にこんもりともった上に、干しぶどうなどで十字架の形が描かれます。その他さまざまなお菓子類を飾りつけたりもします。「パニヒダ」が終わった後、参祷者全員で分かち合い、食します。

聖パン記憶

聖体礼儀が行われる時、信徒は「聖パン記憶」を司祭に依頼することができます。聖パン記憶とは、提出された用紙に書いてある信徒の聖名を読み上げながら、司祭が聖パンから聖戈を使って小片を取り出すことを言います。信徒は、自分だけでなく自分の家族や友人など、記憶してほしい人々の聖名を生者と死者に分けて用紙に記入します。記憶した小片は、ディスコスの上に置かれ、教会を象り、聖体礼儀の最後に尊血の中に入れられ、ハリストスと一つになります。記憶された後の聖パンは手元に戻されます。これは、家に持ち帰り、ジャムやバターなどは塗らずに敬虔な気持ちで食べます。 ちなみに、聖パンは、「プロスフォラ(「供える」という意味)」とも呼ばれ、御聖体となるパンと同じように、水と小麦粉とイースト菌のみで作られます(塩を少し混ぜることも)。円状に二段重ねの形をしています。円は永遠を象り、二段重ねはハリストスの人性と神性を象っています。

アンティドル

聖体礼儀が終わった後、参祷者は、切り分けられたパンをいただきます。 このパンは「アンティドル」と呼ばれます。 これは、「賜物の代わり」という意味で、御聖体のために使ったパンの残りを、領聖しなかった人々のために分与していたことに由来します。今では、参祷者全員がもらう習慣となっています。

祭の前晩

「祭」の前晩に行われる「徹夜祷」の中で、五つのパンと、麦(もしくは米)、ぶどう酒、油を祝福する奉神礼が行われます。このパンは、「リティヤ」と呼ばれる特別な祈祷に引き続き行われるため、「リティヤのパン」と呼ばれることもあります。五つのパンは、五千人の共食の奇跡(マルコ6:30以下、他)を象っています。祝福されたパンはぶど引酉に浸され、参祷者に分与されます。祝福された油は、参祷者の額に十字形に塗られます。こうして祭を祝い、神の豊かな祝福をいただきます。

聖枝祭の枝

主のエルサレム入城を記憶する「聖枝祭」には、その名のとおり、枝をもって祝います。聖書に記載されているようにシュロを使う教会もありますが、ロシアなどではネコヤナギを使っています。その他、オリーブやいろいろな花を使うこともあります。参祷者は祈祷の間ずっとこの枝を手に持って祈ります。その後、枝は家にもって帰り、イコンの上や横に一年間置かれます。この枝は、「勝利のしるし」と呼ばれます。

変容祭の果物

顕栄祭(主の変容祭)には、信徒はぶどうやその他の果物を持参して参祷します。祈祷の中で成聖された果物は、喜びをもって食されます。変容とは、ハリストスが山の上で光栄の姿に変わったことを言いますが、果物も、小さな種から豊かな味わいのある果実へと変容したものです。私たち人間も、神成(テオシス)の恵みによって変容していくべきものであることを果物の成聖は教えます。

呼びかけ

信徒は「神の僕」「神の婢」と呼ばれます。また神の前では兄弟姉妹ですから「○○兄」「○○姉」と互いに呼び合います。司祭には「神父様」とか「神父さん」と呼びかけます。復活祭の期間には「ハリストス、復活」「実に復活」というあいさつを交わします。

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