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ルーマニア世界遺産ブコヴィナ地方の修道院地図

★☆ ブコヴィナの修道院について ☆★

 ルーマニアの修道院は、日本の建物でたとえると寺社のような存在で、鎮魂帰神を求めて修行する修道士の生活する場所だけでなく、宗教的社会の中核としての存在、そして昔から文化を促進する存在であり続けてきた。 中世時代、ルーマニアの国土が移住民族に侵略される度毎に、町や集落が礎から焼き尽くされて、命からがら助かった人々は生活を元に戻すために簡易な家屋を建て直すのがやっとであった。そのような時代は、家宝や家財道具が子孫に受け継がれることがほとんどなく、ルーマニアの文化を何とか残すことができたのは、要塞のように作られた修道だけであった。
 その中でも、北モルドヴァ地方の修道院は、国の著名な領主が建立ノしだものとして、ルーマニアの国史を読み直すことのできる場所となっています。 14世紀ら17世紀にかけて、現在のルーマニア北東部と、旧ソ連のモルドヴァ共和国を含む地域にモルドヴァ公国が栄えていたが、その最盛期ともいうべき15世紀にはヨーロツパヘと侵略を進めるオスマン・トルコ帝国との間に紛争が絶えることはなかった。多くの国がトルコ軍に落ちていくなかで、当時この地を治めていたシュテファン大公(位1457-1504)は、トルコ軍に敢然と立ち向かい、戦闘で勝利を収める度に、神の加護を祝して修道院を建立した。その数が40を越しているという。
 信仰心の篤いシュテファンは、国家の存続を祈り、地方統治の要として修道院を建立した。これらの修道院は、外側に高く分厚い石塀で囲まれ、敵の侵入を防ぐ砦として機能するように建てられた一方、人びとの信仰心を集める象徴的な場所にもなり、その中にある教会堂の内壁・外壁が色鮮やかなフレスコ匍で、全面覆いつくされていることが多い。

 これらの修道院の中央には、教会堂が立つ。ほかの地方とは異なり、モルドヴァの教会堂は決して大きな建物ではなく、信徒の入れるナウス(身廊)には、地域の支配者が祈りに来て、主な祭日に建立者やその子孫が顔を見せに来た。一般の信徒たちが修道院に入ったとしても、教会堂の中のアイコンの前で祈ったり、壁画を見たり、ミサを聞いたりすることはもとより、足を踏み入れることすらめったになかったわけである。特に祭日の時に多く集まる信心深い民に、教会の中を見せることができなかった。そうして大昔のあるころから教会の壁の外に絵を画く習慣ができたと思われる。
 これらの壁画の内容は、大きく二つに分けられる。ひとつは建立者の姿や功績、歴史など【現世】に関するものがあり、もうひとつはルーマニア正教で重んじられる聖書の場面や聖人像など、精神の世界を画いた宗教画がある。ただし、現実の世界と神の世界が画家の思い通りに編み困れることもある。たとえば、現実の世界ではとモルドヴァ公国に対して少しずつ勝ち進んでいるはずのトルコ人が、悪魔が率いる軍として天使との戦に負け逃げ教る者として描かれた場面、また罪人として悪魔に足を捕まれ地獄に堕ちていく者として描かれる場面が出てくる。
 視覚的な媒体がほとんどなかった中世においてこのような絵は人々にどれぐらい大きな印象を与えたのか、現在の我々から見ると想像することもできない。 しかし、当時の意味合いをすべて理解することができなくても、見る者はなんとなく心に響くような何かを感じるはずである。

 入口の前には、壁に囲まれていない玄関廊ルレーマニア後では「 プリドヴォール」)がある。 入ってすぐの間が拝廊(ルーマニア語では「プロナオス」)があ る。少し進むと、信徒たちがミサを関く身廊(ナオス)がある。
 その奥に祭壇(「アルタル」⇒が置かれる後陣がある(ルーマニア語で「アプサ」というが、建築用語であまり使われない)。 後陣は円形が多いが1、アルボレなどの素朴な教会では、教会全体が長方形で√屋根の形と内装以外、区別できない。
 拝廊と身廊の間に、建立者やその家族が埋葬されている墓室(「グロプニツァ」)がある。教会によっては、墓室が一部屋として仕切られていることがある。
  身廊の横には側廊(「トランセプト」、翼廊、袖廊とも言われる)があるが、北モルドヴァの古い教会ではこのような部分を持つものが少ない。
  全体図として、上記め図面にある後陣の形は三先頭型(「トレフラータ」、三先端型)で、最も古い。しかし、アルボレ修道院の教会堂などのように、単純な長方形のものもある。

ブコヴィーナ地方の教会の壁画に使用されるフレスコ技法について

 壁画の作成法は、フレスコ法とセッコ法に大別できる。
 セツコ法はテンペラとも呼ばれ、顔料を乾いた壁に塗布するのが基本である。 訂正、復旧などが自由自在にできるが、顔料が変色・剥離しやすく、耐久性が望めないのが不利点である。
 教会堂は、永久に建ち続けるように考えられた建物である。その壁画は全休の雰囲気をかもし出す重大な一要素になるため、十分な耐久性を持つことが必要条件になる。そのため、作業条件がセツコ法より厳しくてもフレスコ法が採用されることが多い。
 フレスコ法は、イタリア語形容詞fresco(新鮮)に由来し、顔料をまだ乾いていない漆喰(しっくい)の上に塗ることを基本としている技法である。

 作業の流れ

 砂と石灰の混合を塗布し、壁面を平らにする。「黒漆喰」を塗布し、さらに上に「白漆喰」を塗った直後から乾燥するまでの数時間の間に、画家が壁画を完成しなければならない。
 フレスコが実際に載る白漆喰は、大理石の粉、砂と石灰、技術によっては細かくつぶした植物繊維を水で溶かして作られている。
 使用顔料は石灰に作用しない無機成分のみになる。 顔料がいったん漆喰に浸透すると、他の顔料で塗りつぶそうとしても、予測不可能な色になることがあるため、訂正などがほとんど不可能である。つまり、担当の画家は数時間で、1平方メートル以上の面積を完成するという困難な作業が課せられることになる。



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