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▲トップへスチェヴィツァ修道院
この修道院は、ルーマニアの最北端に近いボトシャニ県ラダウツィ市から、20キロ諺ど東に、チュムルナ峠の近くに所在している。狭い盆地にあって、近くに同名の村がある。近くに線路がなぐ、バスも使が少ないため、単独ツアーでは行きにくい。
スチェヴィツァは1582-84の間に建造されており、彩画を持った北モルドヴァの修道院のなかでもっとも新しいが、最も優れているといわれている。残念ながら、新しいためか、それとも建設様式が次世代のものとみなされたためか、世界遺産の選考の際対象外となってしまった。
修道院は、教会堂を中心に、各辺約100m四角形に配置されている。修道院のほかの建物は外壁に沿うように立てられており、外壁が高さ6m、厚さ3mと、城壁の役割を兼ねるように立てられている。さらに各隅部には見張塔があり、ある程度外からの攻撃に耐え得るように建造されたわけである。
修道院は1581年に、ラダウツィ司教のゲオルゲ・モヴィーラの命で着工された。ただし、もともと宗教的建設物のはずであった修道院がこれまで要塞の形をするようになったのは、司教の兄、当時のイエレミア・モヴィーラ公の命令によるようである。 公の指令によって、教会堂の南北の入口には玄関廊(ポルティコ)、修道院の四方には重厚な城壁、頑丈な家屋、見張り塔などが増築されることになった。
教会堂の壁の内外を飾る壁画は1595~96年に製作されたものと見られている。モルドヴァの他の教会堂と比べると異例なほど外壁の絵画の保存状態が良好である(もちろん、内部の壁画もそうである)。そして、スチェヴィツァ修道院では何よりも、壁画の多さが光る。外壁のうち西面には壁画がないものの、それでも図像が数千点あってモルドヴァ地方のどこよりも多い。
壁画は細密画と同じような手法で製作されている。淡い緑がベースに、主に赤紫と青を中心に描きこまれており、金色が多用されている。まさに「緑と光で作られた歌」とたたえられたとおりである。作者については、スチャヴァ出身の兄弟二人ヨアンとソフロニネが主導したモルドヴァ派壁画の流れを汲むルーマニア人修道士によるものと考えられている。特徴としては、ストーリー性が強調されていることと、16世紀モルドヴァ地方の日常生活を題材にした壁画が多いことが日立つ。
最も顕著な壁画が「貞操のはしご」である。現世で徳を積んだ者が天使に導かれて天国へ上り、罪を犯した者が満足げに微笑む悪魔の手に入るという様子が画かれている。「最後の審判」という場面を画く壁画も同じぐらい有名であるが、残念ながら画家が製作中に足場から転落死したため未完成である。この「最後の審判」の各場面には、ルーマニア人にとって長年の敵であったトルコ人や、異教徒としてのユダヤ人が描かれている。「天国への梯子」の場面でも、悪魔などの全てがトルコ人の服装をしているが、それもオスマン帝国の脅迫に対して、教徒を励ますための内容と考えることができる。
張り出し屋根の外側には双頭の獣と火の川を描いたヨハネ黙示録の様子が綿密に画かれている。南側壁面にはエッサイの木と、聖母を題目にしたそれぞれの場面が描かれており、綿密な観察に値する。
「エッサイの木」とは、簡単に言うとユダヤ人の重立った支配者の系図である。旧約聖書のひとつのテーマであるが、その枝の末端にイエスがおり、この意味で旧約・新約聖書をつなぐ象徴となる。テーマ自体はどの教会堂でも必ずと言っていいほど出てくるが、スチェヴィツァ教会に見られるこの「エッサイの木」はヴオロネツ教会にあるものとは異なり、発展的な図像となっている。
「聖母マリアの戴冠」に関しては、ギリシヤ正教、そしてビザンツ芸術であまり扱われない場面で、ルーマニア全体では類まれな絵画となっている。このテーマがここに出ているのは、スチェヴィツァが所在する地方が当時接近していた、カトリック国のポーランド美術の影響によるかもしれない。
この修道院は尼僧院として使われており、社会主義時代にも修道女が暮らせた、例外的な場所である。修道院が観光スポットとして有名になった今でも、修道女が質素な生活を送っており、荘厳な雰囲気が身にしみる。
中庭の建物の一部には、中世時代の装飾品や書物が展示される小さい博物館がある。 1997年に尖塔および外壁画の修復が完了しました。