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▲トップへチェリビダッケとフルトヴェングラー レビュー
いま円熟の期を迎えたチェリビダッケは、終戦直後の混乱期にフルトヴェングラーとともにベルリン・フィルの指揮者として活躍していた。 しかし1954年にフルトヴェングラーが死去、ベルリン・フィルは次の指揮者にカラヤンを選んだ。 なぜ、フルトヴェングラーの後任がチェリビダッケでなくカラヤンだったのか? 2人の間に何が起こり、何があったのか?
目次
- レオ・ボルヒャルト
- 政治の汚れを知らぬ処女の如く
- ブラック・リスト
- 指揮棒を持たずにベルリンへ
- 私は奇跡の人ではない
- 辛抱強く
- フルトヴェングラーとアメリカ
- 1947年聖霊降臨祭の日曜日
- 作曲活動の悩み
- 関係の解明
- はたして代理首席を市に留めておけるか?
- 多難をきわめた第二交響曲の誕生
- ベルリン封鎖
- インテンダントは何処に
- チェリビダッケとノイエ・ムジーク
- 箝口令
- フルトヴェングラー再び首席に
- 最後のチャンス
- 契約は馬鹿気たこと
- ドイツ連邦共和国の状況
- フルトヴェングラーとレコード
- 奸策
- フルトヴェングラーの叱責
- 協奏曲の伴奏指揮について
- 失われた信頼関係
- 公演スケジュール分析
- 離反
- チェリビダッケからの最後の手紙
- 訣別
- フルトヴェングラーの補聴器
- 出番を待つカラヤン
- オーケストラの〈解体〉を計るチェリビダッケ
- 功労十字大勲章
- フルトヴェングラーから受けた深く大きな衝撃
- チェリビダッケ自らを語る


