
皆さん、お久しぶりです!
この間ふと思いついたことがあるんですけど、Gerovital(ジェロヴィタール)という言葉は聞いたことがありますでしょうか。
Gerovitalは、ルーマニアの有名なコスメブランド名でもありますが、治療薬の名称でもあります。今回は、このGerovitalを開発し、世界中の人々に幸せを与えたアナ・アスラン博士を紹介したいと思います。
アナ・アスラン博士はルーマニアの有名な科学者の一人です。一生研究に全力を尽くした彼女が特に老人学に大きく貢献したことで、世界的に名高い存在として知られるようになりました。
アナ・アスランは、1897年にルーマニアのブライラ市(Brăila)に生まれました。教育を大切にするアルメニア系の家族の末っ子で、13歳で父を亡くした彼女が老化と闘うことを決意しました。
家族そろってブカレストに引っ越してからアナが高名なȘcoala Centrală高等学校に入学しました。高校最終年の頃、人体解剖学に興味を持つようになり、医師になることを決意しました。当時、母の反対に反発し、3日間も自分の部屋に閉じこもったアナが結局医学部に進学する許可を得ました。
ここからアナ先生の長年にわたる活躍が始まります。第一次世界大戦中は輪軍病院で看護師として働き、後ほど神経学の博士としても活躍しました。そして医学史上の転換点ともいえる出来事が1950年代前半に起こります。当時、アナ先生がコンスタンティン・パルホン氏の下でプロカイン治療の効果作用を研究していました。その結果、プロカインがリウマチに効果をもたらすことを発見し、後ほどその一環としてジェロヴィタールH3(Gerovital H3, GH3)の開発を進んでいきました。
1952年には、アナ先生の主導により、世界初の老人医学研究所がブカレストに設立されました。1957年、ジェロヴィタールは正式的に新治療薬として認められ、30カ国以上で特許を取得しました。さらに、GH3に改良を加え、特に神経系への効果をより高めた製剤がアスラヴィタールです。両者は 1961 年から 10 年間の臨床試験後、1971 年に国家的な生産が開始されました。
その後、永遠の若さ」を求めて、俳優、億万長者、国家元首がブカレストを訪れるようになりました。アナ先生の有名な患者の中からフルシチョフ、サルバドール・ダリ、チャーリー・チャップリン、ジョン・F・ケネディ、マレーネ・ディートリヒ、シャルル・ド・ゴール等の名が挙げられます。
この時期、アナ先生の活躍はルーマニアに年間1700万ドルもの収益をもたらしました。また統計によれば外国人観光客の10%が治療のためにルーマニアを訪れていたそうです。
アナ先生は優れた科学者だけではなく、非常に優雅な女性でもありました。イタリアから衣装を仕入れ、そして宝飾品やフランス料理、高級酒、そしてショパンの音楽を好んでいたと言われています。また、アナ先生に迷信深い一面もあり、フクロウの小像を収集していたとも伝えられています。
1974年、アナ先生はルーマニア学士院の一員に選出されました。彼女は生涯を通じて世界保健機関の「レオン・ベルナール」国際賞・メダルをはじめ、数多くの国際的な賞を受賞しました。またブラジルのブラガンサ・パウリスタ大学の名誉教授・博士で、ニューヨーク科学アカデミーなどの多くの学会や科学協会の会員でもありました。
しかし、アナ先生の成功と人気は、当時の共産主義当局の妬みをもたらしました。1980年代初頭、彼女は老人ホームで高齢者に料金を請求せず国家の重要な収入源を損なったとして起訴されました。数年にわたる闘いの末、勝訴しました。彼女が亡くなる、わずか1年前のことでした。
最後に、アナ先生の言葉を共有したいと思います。彼女は一生、時間を打ち勝つ願いを持ち、高齢者でも健康で活発な生活を送ることが可能なことを世界に見せました。「私は基本的に現在と未来に生きています。過去のことは考えていません。過去を覚えてさえいません。そして、私を支えてくれた一つは、後悔がないことだと信じています。」「人は老いて死ぬのではなく、病気で死ぬのです。」
これらの楽観的で明るい言葉をもって今回のお話を終らせたいと思います。

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Gerovitalとは、アナ・アスラン先生によるブランドです。日本でも人気のあるスキンケアを生産しています。その中には、Aslavitalというシリーズもあります。