こんにちは!(Buna ziua!)
前回はルーマニアの首都ブカレストにある、フランスの雰囲気を感じられるスポットについて紹介したのですが、今回は首都ブカレストにある、ルーマニアの歴史を感じられる建物について紹介したいと思います!
それは、ブカレストにある「国民の館(カサ・デ・ポポルルイ)」という建物です。この建物は、かつてルーマニアで独裁を行っていた共産主義者のチャウシェスクが、1500億円もの国家財産を投じて1984年から建設を始めた33平方メートルもの広さを誇る建物で、世界で二番目に大きい建造物だと言われています。(ちなみに世界で一番大きい建造物は、「ペンタゴン」と呼ばれる米国防総省の建物だそうです)
では、チャウシェスクはどうしてこのように巨大な建造物をつくることができたのでしょうか。チャウシェスクの独裁について、簡単に歴史を振り返ってみましょう。
WWII後 ルーマニアは社会主義国となる
→チャウシェスクは自主外交を行う
→民族主義路線を強めて独自外交路線を鮮明にする
1965年 チャウシェスクが共産党の書記長となり、独裁化を進める
1967年 東ドイツの反対を押し切り西ドイツと国交を樹立
1968年 米ニクソン大統領をルーマニアに招待してソ連を牽制
1971年 チャウシェスクは中国を訪問、国公を結ぶ
1974年 チャウシェスクは大統領となり独裁権力を完全にした
1989年 民主革命
→革命への暴動はブカレストで銃撃戦となり、革命広場で多くの血が流された
→チャウシェスクは処刑される
このように、最終的には民主化の流れによってチャウシェスクは処刑されてしまったものの、冷戦下のデビュー当時、ソ連に断固立ち向かうチャウチェスクは国民的英雄だったのです。その後、独裁色を高めていったチャウシェスクは、莫大な国家財産をかけて、権力を見せつけるかのように国民の館を創ったのです。
独裁時代の爪痕を残す国民の館ですが、国家財産を投じただけあって3000以上ある部屋はどれも豪華なので、是非とも実際に足を運んで自分の目で確かめてみたいものです。
ちなみに、ルーマニアと日本の関係においても、1989年の体制転換以前までは、ブカレスト大学を含む2校以外での日本語教育というのはルーマニアでほとんど行われていなかったのですが、革命以後徐々に増えていったようで、1989年という年がルーマニアにとって新たな国へと歩み出す重要な年になっているということがわかります。
以上で見たように、ルーマニアの首都ブカレストには、パリの雰囲気が感じられるモダンな建物がある一方(以前投稿した「ルーマニアの首都はパリ?!」の記事参照)独裁政権下の歴史を感じられる建物が残されているのが特徴的です。そんなルーマニアの首都ブカレストに是非とも足を運んでみてほしいです!
次回もお楽しみに🇷🇴🎶