皆さん、こんにちは!
そして、明けましておめでとうございます。
新年の始まりに嬉しいお知らせがあります。つい最近、cobza「コブザ」がユネスコの無形文化遺産に登録され、ルーマニアが世界に提供する宝物に新たに加わりました。
これは、2025年12月中に開催された第20回ユネスコ無形文化遺産保護条約政府間委員会において発表されたもので、共通の文化遺産を共有しているルーマニアとモルドバ共和国にとって重要な出来事でした。

皆さんは「コブザ」とは何か、聞いたことがありますか。
コブザは、首が短く洋ナシの形をした木製の弦楽器です。伝統上、民謡にリズムと調和を与えるために用いられてきました。
コブザは、独奏でも合奏でも演奏されます。主に農村地域で使用され、古くから社交行事や舞踏会、祝祭に欠かせない楽器です。その起源については、職業音楽家であるジプシー(lăutari「ラウタリ」とも呼ばれる)を通じて、ルーマニアに伝来されたと言われています。かつてコブザは、ムンテニア、オルテニア、ブコヴィナ、モルドバ地域人気で大変人気があり、16世紀の修道院の壁画にもその姿が見られます。
ルーマニア領内におけるコブザの最初の記録は不明ですが、その歴史は著名な音楽家たちと深く結びついています。19世紀に活躍したラウタリ組合長のバルブ・ラウタル演奏家もその一人です。

コブザの世界遺産登録に対して、ルーマニアのデメテル・イストヴァン文化省大臣は、次のように述べました。
「この新たな成功は、木材から芸術作品を生み出してきた職人コミュニティと、何世紀にもわたって物語や歌を伝えてきた演奏者たちのおかげです。(中略)我々は、ルーマニアおよびモルドバ共和国の現地の専門家や公的機関とともに、この希望と熱意の波を今後も支援していきます。皆さんに心からの祝福と感謝を申し上げます」と述べました。
このように、コブザの音色の独自性、その構造の優れた技巧、演奏の芸術性、そして文化的象徴としてそれを守り続けてきたコミュニティの役割が、公式に認められました。
これによってコブザは、イエという民族衣装、移牧、リピツァーナーの飼育の伝統など、すでにユネスコ遺産に登録されている他のルーマニアの遺産に加わることになり、ユネスコ文化遺産における11件目のルーマニアの登録遺産となりました。

皆さん、こんにちは!
冬がいよいよやってきて、クリスマスの時期も近づいてきましたね。個人的には、この時期は一年で最高の楽しみです!皆さんはいかがでしょうか。
今日はルーマニアの伝統の中でとても愛されている、クリスマスに関わる2人の重要な人物についてお話したいと思います。
ルーマニアでは、サンタさんが2回来てくれることをご存知でしたか!?
そうなのです!子供たちが12月の6日と25日の2回、プレゼントをもらうのです!
私は子どもの頃、12月6日をクリスマスに先立つ特別な日としてワクワクしながら待っていたことを覚えています。その前夜、妹と一緒に準備を始めました。靴を磨いたり、「ニコライじいちゃん」にお祈りをしたり、翌日のことを期待したりしながら眠りにつきました。
翌日、夜明け前に起き、「ニコライじいちゃん」が靴の中にお菓子を入れてくれたのか、それとも…..鞭が入っていたのかを確かめるために、廊下へ駆け寄りました。鞭が入っていたことは一度もありませんでしたが、妹と私はいつも良い子でいようと心に留めていました。
(ちなみに、良い子はお菓子、悪い子は鞭をもらうという伝えがあります。)
この「ニコライじいちゃん」とは誰なのか、不思議に思うかもしれません。実は、彼は本当に実在した人物です。現在では、正教会とカトリック教会の両方で聖ニコライとして崇拝されています。
聖ニコライは4世紀頃の人物(1) で、現在のトルコにあるミラ(旧ギリシャ)の町の主教でした。生前から優しく、悪意がなく、謙虚な人として知られ、人々に深く尊敬され愛されていました。孤児にとっては父親のような存在であり、貧しい人には慈悲深い支えとなっていました。泣いている人を慰め、苦しむ人を助け、周りに善行を施していました。聖ニコライはこのような人物でした。
しかし、聖ニコライはその善行を常にひそかに行っていました。おそらく、夜のうちに誰にも知らずにやって来て、良い子供たちの靴に贈り物を入れていくという伝統も、そこから伝わってきたのでしょう。
聖ニコライの祝日は、贈り物の季節の始まりを告げ、喜びと光、そしてクリスマスへの熱烈な期待をもたらします。
もちろん、子供だった私たちにとって、最も重要な存在はサンタ・クロース(クリスマスじいちゃんと呼ぶ)でした。おそらくそれは、私たちの家では、お菓子だけを持ってくるニコライじいちゃんに対して、クリスマスじいちゃんはお菓子だけでなく、おもちゃも持ってきてくれたからでしょう。(笑)
ですから、12月24日は私たちにとって一年で最も盛り上がる日でした。その日は、ツリーを装飾したり、キャロルを歌ったり、晩課に行ったりし、クリスマスの準備を終わらせた日でした。そして必ず、私たちが眠っている間に訪れてくれるクリスマスじいちゃんのためにおやつを用意することも忘れてはいけませんでした。これらすべてに意味があり、互いに繋がっていました。両親は、私たちが幼い頃から、サンタ・クロースをブランドや広告のキャラクターとしてではなく、宗教的な文脈の中で理解するように育ってくれていたのです。
サンタ・クロースの伝統は、聖ニコライの物語に基づいているとされていますが、私は幼い頃に読んだ別の伝説を紹介したいと思います。
聖母マリアは出産する間近に、ベツレヘム町の家々を一軒一軒と歩き回り、泊まらせてくれる人を探していました。しかし、誰も彼女を受け入れてくれませんでした。そんな中、ついに彼女を哀れに思い、受け入れてくれたのは、町の郊外に夫と暮らしていた一人の女性でした。彼女は聖母を動物の飼い葉桶に泊まらせてくれました。
しかし、その女性の夫であるクラチュン(2) は残忍な男でした。彼は仕事から帰宅し、妻の話を聞いたら、あまりにも怒って彼女の両手を切り落としてしまいました。泣きながらの女性は聖母と赤ん坊が休んでいた飼い葉桶のところへ行きました。哀れみ深い聖母はその姿を見て、彼女の手を癒して元に戻してくれました。全て目撃したクラチュンは恐怖に襲われ、地面にひれ伏して赤ん坊とその母に礼拝しました。そして自分の罪を認め、許しを得るために人生を改め、人々に尽くすことを誓いました。
このように、毎年クリスマスじいちゃんは人々の家を訪れ、良い子たちに贈り物を持ってきてくれるのです。それは、彼の約束を果たすと同時に、神様の降誕を告げるためでもあります。
時が流れ、大人になった私たちは一つのことが分かりました。それは、クリスマスじいちゃんは両親を通して贈り物を届けてくれますが、「クリスマスの心」の中に常に生きているということです。
おそらくそれで良いのだと思います。なぜなら、この祝祭は結局のところ、サンタ・クロースのものではなく、神様のものなのですから。
🎄皆さん、良いクリスマスとよいお年をお迎えください! 🎆
また次回もお楽しみに!
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(1) ミラの聖ニコライ。日本正教会の正式な呼称は、ミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ。
(2) ルーマニア語で「クリスマス」と意味します。

皆さん、お久しぶりです!
この間ふと思いついたことがあるんですけど、Gerovital(ジェロヴィタール)という言葉は聞いたことがありますでしょうか。
Gerovitalは、ルーマニアの有名なコスメブランド名でもありますが、治療薬の名称でもあります。今回は、このGerovitalを開発し、世界中の人々に幸せを与えたアナ・アスラン博士を紹介したいと思います。
アナ・アスラン博士はルーマニアの有名な科学者の一人です。一生研究に全力を尽くした彼女が特に老人学に大きく貢献したことで、世界的に名高い存在として知られるようになりました。
アナ・アスランは、1897年にルーマニアのブライラ市(Brăila)に生まれました。教育を大切にするアルメニア系の家族の末っ子で、13歳で父を亡くした彼女が老化と闘うことを決意しました。
家族そろってブカレストに引っ越してからアナが高名なȘcoala Centrală高等学校に入学しました。高校最終年の頃、人体解剖学に興味を持つようになり、医師になることを決意しました。当時、母の反対に反発し、3日間も自分の部屋に閉じこもったアナが結局医学部に進学する許可を得ました。
ここからアナ先生の長年にわたる活躍が始まります。第一次世界大戦中は輪軍病院で看護師として働き、後ほど神経学の博士としても活躍しました。そして医学史上の転換点ともいえる出来事が1950年代前半に起こります。当時、アナ先生がコンスタンティン・パルホン氏の下でプロカイン治療の効果作用を研究していました。その結果、プロカインがリウマチに効果をもたらすことを発見し、後ほどその一環としてジェロヴィタールH3(Gerovital H3, GH3)の開発を進んでいきました。
1952年には、アナ先生の主導により、世界初の老人医学研究所がブカレストに設立されました。1957年、ジェロヴィタールは正式的に新治療薬として認められ、30カ国以上で特許を取得しました。さらに、GH3に改良を加え、特に神経系への効果をより高めた製剤がアスラヴィタールです。両者は 1961 年から 10 年間の臨床試験後、1971 年に国家的な生産が開始されました。
その後、永遠の若さ」を求めて、俳優、億万長者、国家元首がブカレストを訪れるようになりました。アナ先生の有名な患者の中からフルシチョフ、サルバドール・ダリ、チャーリー・チャップリン、ジョン・F・ケネディ、マレーネ・ディートリヒ、シャルル・ド・ゴール等の名が挙げられます。
この時期、アナ先生の活躍はルーマニアに年間1700万ドルもの収益をもたらしました。また統計によれば外国人観光客の10%が治療のためにルーマニアを訪れていたそうです。
アナ先生は優れた科学者だけではなく、非常に優雅な女性でもありました。イタリアから衣装を仕入れ、そして宝飾品やフランス料理、高級酒、そしてショパンの音楽を好んでいたと言われています。また、アナ先生に迷信深い一面もあり、フクロウの小像を収集していたとも伝えられています。
1974年、アナ先生はルーマニア学士院の一員に選出されました。彼女は生涯を通じて世界保健機関の「レオン・ベルナール」国際賞・メダルをはじめ、数多くの国際的な賞を受賞しました。またブラジルのブラガンサ・パウリスタ大学の名誉教授・博士で、ニューヨーク科学アカデミーなどの多くの学会や科学協会の会員でもありました。
しかし、アナ先生の成功と人気は、当時の共産主義当局の妬みをもたらしました。1980年代初頭、彼女は老人ホームで高齢者に料金を請求せず国家の重要な収入源を損なったとして起訴されました。数年にわたる闘いの末、勝訴しました。彼女が亡くなる、わずか1年前のことでした。
最後に、アナ先生の言葉を共有したいと思います。彼女は一生、時間を打ち勝つ願いを持ち、高齢者でも健康で活発な生活を送ることが可能なことを世界に見せました。「私は基本的に現在と未来に生きています。過去のことは考えていません。過去を覚えてさえいません。そして、私を支えてくれた一つは、後悔がないことだと信じています。」「人は老いて死ぬのではなく、病気で死ぬのです。」
これらの楽観的で明るい言葉をもって今回のお話を終らせたいと思います。

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Gerovitalとは、アナ・アスラン先生によるブランドです。日本でも人気のあるスキンケアを生産しています。その中には、Aslavitalというシリーズもあります。
こんにちは!(Buna ziua!)
今回は、ルーマニアの行事についてご紹介したいと思います。
それはイースターです!🐣🌷
※イースターの写真
日本でもイースターという言葉は浸透していますが、イースターはイエス・キリストの復活祭であるため、何か特別なことをしたりお祝いしたりする家庭は日本では少ないのではないでしょうか?
しかし、ルーマニアでは多くの国民がルーマニア正教を信仰しているため、イースターというのはとても大切な行事であり、各家庭で盛大に祝われるのです。
それでは具体的にイースターにはどのようなことをするのか、いくつかのトピックに分けて紹介していきたいと思います!
(1)イースターの時期について
まず、イースターがいつ行われるのかということについてですが、ルーマニア正教のイースターの場合、春分の日が過ぎた後に現れる最初の満月の次の日曜日に行われるそうです。
(2)イースター前の大切な準備
次に、イースターを迎えるための準備として、ルーマニアの人々は断食を行うそうです。断食と聞くと厳しいイメージを持ってしまいますが、断食と言ってもルーマニアの場合はイースターの七週間前から肉類と乳製品が禁止されるというものであって、一日で何回も食べることは許されているため、つまり一時的にベジタリアンになるという感覚です。
(3)びっくりする風習その1
イースターヴィジル(Easter Vigil: イースターの前夜の日没後に行われる礼拝)のために、教会の近くや丘で火が灯されることがあります。ブコビナなどの地域の田舎で目撃できるこの伝統は、暗闇(悪)を追い払い、冬を追放し、春を歓迎するのに役立つはずです。
(4)びっくりする風習その2
男の子が彼らのコミュニティの中の未婚の女の子を訪問し、幸運のために、または早く結婚できるようにと水や香水をかけるということです。
(5)イースターエッグ
※赤く染められたイースターエッグの写真
ルーマニアの人々はイースターの際、自分たちで卵を赤く染めて食べる風習があるそうです。
なぜ赤く染めるかというと、次のような伝説があるからです。
聖母マリアが磔刑されている最中の息子、イエスに会いに来た際、卵の入った籠を彼の足元に置いていきました。その籠の中には卵が入っていましたが、次第に卵がイエスの血で赤くなったそうです。
この話から、イエスの純粋な血で赤く染められた卵は犠牲の一つのシンボルになったそうです。
卵を赤く染めるために、昔は玉ねぎの皮や他の野菜の葉っぱが使われたそうですが、現在はより染めやすい着色剤が一般的に用いられるそうです。
また、赤以外にも伝統的なモチーフを用いて卵を装飾することもあり、地域によって柄が異なるそうです。特に有名なのがブコヴィナ地方のもので、複雑で細かな装飾が施された卵はまるで芸術作品のようです😳
※ブコヴィナ地方のイースターエッグの写真
また、イースターエッグを食べる際に、
「キリストが復活した」(ルーマニア語で「Cristos a înviat」
「確かに、彼は復活した」(ルーマニア語で「Adevarat a înviat」)
という言葉を言ってから卵を割る風習があるそうです。
(6)イースター料理その1
イースターの際にルーマニアの人々が食べる料理として「パスカ」というものがあります。
※パスカの写真
これは、ルーマニア発祥の伝統的なイースターブレッドで、甘いチーズケーキのようなものだそうです。主にリコッタチーズや牛のチーズ、レーズンを用いて作られるものが一般的です。
このパスカは喜びを表すものとして、イースター以外にクリスマスや結婚式の際にも食べられるものだそうです。
(7)イースター料理その2
※ドロブの写真
イースターの際にパスカと並んでルーマニアの人々が食べるのが、「ドロブ」という料理です。これはミートローフのような料理で、真ん中にゆで卵を入れるのが特徴的です。また、イエス・キリストは自分自身を犠牲にしたとして「神の子羊」と考えられていることから正教では羊肉が象徴となっていることから、ラム肉を用いるというのも特徴的です。
いかがでしたか?日本とは異なるルーマニアでのイースターの過ごし方がわかっていただけたと思います。
春にルーマニアを訪れた際には是非ともルーマニアのイースターを体感してみてください🐰
次回もお楽しみに🇷🇴🎶
こんにちは!(Buna ziua!)
今日はルーマニアの中でもあまり知られていない、トランシルヴァニア地方の中心部にある都市、クルージュ・ナポカについて取り上げたいと思います!なぜかというと、この都市は「学生の街」として知られていて、ルーマニア最大の学生人口を誇る活気あふれる街だからです!
では、さっそく見ていきましょう👀
(1)クルージュ=ナポカはどんな都市?
※クルージュ=ナポカの街並みの写真
クルージュ・ナポカはトランシルヴァニア台地の北西部を流れるソメシュル川にまたがる地域にある都市で、人口は32万人と比較的大都市であると言えます。もともと、13世紀にサクソン人がトランシルヴァニアに建設した7つの要砦都市として発展しました。この都市はハンガリー系の住民が2~3割を占めると言われており、レストランやお店からはハンガリー語も聞こえてくるそうです🗣️
(2)聖ミカエル教会
※聖ミカエル教会の写真
この教会はゴッシク様式の建物で、クルージュ=ナポカのシンボル的な教会となっています。塔の高さは先端の十字架まで含めると80mもあり、トランシルヴァニアで最も高い建物とされています
(3)セントラルパーク
※セントラルパークの写真
この公園は市民の憩いの場となっている公園で、中心街から少し西にそれたソメシュル川沿いにあります。180年以上の歴史があり、クルージュ・ナポカの有名な建築家であったLajos Pákeiによって設計されました。現在ではこの公園で多くのイベントが開催されたり、冬は園内の湖が凍ってアイススケートリンクに変身したりと、市民にとっては欠かせない場所となっています。
上記で紹介した以外にも、トゥルダ岩塩坑と呼ばれる岩塩の採掘場を見学することができたり、おしゃれなレストランやカフェ、古着屋さんもあったりと観光もショッピングも楽しむことのできる魅力あふれる都市となっています☺️
次回もお楽しみに🇷🇴🎶
こんにちは!(Buna ziua!)
ルーマニアの人々が旅行をする際、季節によって異なる目的地を選ぶのでしょうか?
<一年を通じての傾向>
季節に関わらず、ルーマニアの人々にとって人気のある国はイタリア🇮🇹であり、また人気のある都市は、驚くべきことに、イタリアの都市ではなくロンドン🇬🇧だそうです。
<春の傾向>
春の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りです。
1位 イタリア🇮🇹
2位 スペイン🇪🇸
3位 イギリス🇬🇧
4位 フランス🇫🇷
5位 ドイツ🇩🇪
また、都市における人気ランキングは以下の通りです。
1位 ロンドン🇬🇧
2位 ミラノ🇮🇹
3位 パリ🇫🇷
4位 ローマ🇮🇹
5位 ブリュッセル🇧🇪
ルーマニアの人々にとって、春は長期の旅行を予約する傾向にあり、15%の人が4~6日、8%の人が7~10日の旅行を計画するそうです。
<夏の傾向>
夏の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りで、4位と5位が入れ替わっただけです。
1位 イタリア🇮🇹
2位 スペイン🇪🇸
3位 イギリス🇬🇧
4位 ドイツ🇩🇪
5位 フランス🇫🇷
また、都市における人気ランキングは以下の通りで、同じく4位と5位が入れ替わっただけです。
1位 ロンドン🇬🇧
2位 ミラノ🇮🇹
3位 パリ🇫🇷
4位 ブリュッセル🇧🇪
5位 ローマ🇮🇹
ルーマニアでは、夏が最も多くの人が旅行をする季節である。冬と比較して、フライトはおよそ30%も増加するそうです。
また、春と同じく長期の旅行が多く、11%の人が7~10日の旅行を計画するそうです。
<秋の傾向>
秋の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りで、気温が春と似ていることからランキングは春と同様です。
1位 イタリア🇮🇹
2位 スペイン🇪🇸
3位 イギリス🇬🇧
4位 フランス🇫🇷
5位 ドイツ🇩🇪
また、都市における人気ランキングは以下の通りで、こちらも春と同様です。
1位 ロンドン🇬🇧
2位 ミラノ🇮🇹
3位 パリ🇫🇷
4位 ローマ🇮🇹
5位 ブリュッセル🇧🇪
<冬の傾向>
冬の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りです。
1位 イタリア🇮🇹
2位 イギリス🇬🇧
3位 スペイン🇪🇸
4位 ドイツ🇩🇪
5位 フランス🇫🇷
また、都市における人気ランキングは以下の通りです。
1位 ロンドン🇬🇧
2位 ミラノ🇮🇹
3位 ブリュッセル🇧🇪
4位 ローマ🇮🇹
5位 パリ🇫🇷
クリスマーケットが有名であることから、冬だけウィーンが人気都市ランキングTOP10に入るそうです。
いかがでしたか?国としてはイタリアが一番人気であるものの都市としてはイギリスのロンドンが一番有名であるということが意外でした😳
次回もお楽しみに🇷🇴🎶
こんにちは!(Buna ziua!)
突然ですが、昨日、1月24日はルーマニアでは祝日であるということをご存知ですか?
なぜかというと「ルーマニア公国統一の日」だからです!
今日はこのことについて、ルーマニアの歴史とともにご紹介したいと思います。
そもそも、1859年1月24日にルーマニア公国が統一されたのですが、統一に至った経緯をまとめてみると以下の通りです。
14世紀ごろ ワラキア公国とモルダヴィア公国が存在
→ワラキア公国はルーマニア南部、中世ではハンガリーの支配を受けていたものの、1330年に自立
→モルダヴィア公国はルーマニアとモルドバの国境にあり、1359年に成立
1395年 ドナウ川を超えて北上してきたオスマン帝国のバヤジット1世によってワラキアが征服される
→その後1420年にモルダヴィアも征服される
19世紀 ロシアの南下政策により、ワラキア、モルダヴィアはロシアの保護国となる
1856年 クリミア戦争の講和条約であるパリ条約によりロシア軍は撤退したものの、ワラキアとモルダビアの独立は認められなかった
1859年 先祖や話す言語が共通であったことからワラキアとモルダヴィアは統一を果たし、ルーマニア公国が成立
いかがでしたか?バルカン半島はすごく複雑な歴史を歩んできたということがよくわかると思います。今回の投稿を通して、ルーマニアの成り立ちが少しわかっていただけたのではないでしょうか?
次回もお楽しみに🇷🇴🎶
こんにちは!
今日は世界遺産にも登録されている、トランシルヴァニア地方の要塞協会群についてご紹介したいと思います。
そもそも、トランシルヴァニア地方というのはルーマニア中部のカルパチア山脈に囲まれたところに位置しており、ドイツやハンガリー系の入植者たちが拓いた村が点在しています。14世紀から17世紀にオスマン帝国が勢力を拡大すると、その脅威に対抗するために要塞の機能を備えた教会を中心に集落を作るようになりました。最盛期の1600年ごろには600の要塞教会が作られたのですが、現在残っているのはおよそ半分ほど。そして、中でも保存状態の良い7カ所が現在世界遺産に登録されています。
その7カ所とは以下の通りです。
・ビエルンタン要塞教会
→大きなシャンデリアとタペストリーが特徴
・プレジュメル要塞教会
→高さ12mの城壁があるのが特徴、「死のオルガン」と呼ばれる武器がある
・ヴィスクリ要塞教会
→教会内にロマネスク様式のアーチや聖壇、彫刻などの美術作品が残っている
・カルニク要塞教会
→19世紀に新ゴシック様式に再建築された
・サスキズ要塞教会
→高さ7~9mの石造りの城壁に囲まれていて、天守閣がついているのが特徴
・ダルジュ要塞教会
→ロマネスク様式とゴシック様式が組み合わさっているのが特徴
・ヴァレア・ヴィイロル要塞教会
→教会内には16世紀当時の家具や礼拝道具が残されている
いかがでしたか?教会によってそれぞれ異なる特徴を兼ね備えていることがわかりますよね!ぜひ7カ所すべて訪れて見比べてみてほしいです👀
次回もお楽しみに🇷🇴🎶
こんにちは!(Buna ziua!)
ルーマニアの有名人として誰が思い浮かぶでしょうか?おそらく真っ先に思い浮かぶのは、チャウシェスクでしょう。実はチャウシェスク以外にも有名人が多く、しかも様々な分野において輩出しているのです。今日はそんなルーマニアの有名人をご紹介したいと思います。
<学術>
・ノーベル賞(生理学・医学賞)=細胞生物学者ジョルジェ・パラーデ
・ノーベル賞(文学賞)=ユダヤ人作家エリー・ヴィーゼル
・政治=チャウシェスク(1918-89)
・文学(詩人)=ミハイ・エミネスク(1850-89)
・文学作家&宗教学者=ミルチャ・エリアーデ(1907-86)
→代表作:『永遠回帰の神話』『世界宗教史』
・科学=トラヤン・ヴヤ(1872-1950)
→アメリカのライト兄弟とほぼ同時期にフランスで飛行機の開発を進めた
<芸術>
・美術=画家ニコラエ・グレゴレスク(1838-1907)
→風景画・ルーマニア近代絵画の祖と言われている
・美術=彫刻コンスタンティン・ブルンクーシュ(1876-1957)
→代表作:『空間の鳥』『無限性』
・音楽(作曲家)=ジョルジェ・エネスク(1881-1955)
→代表作:『ルーマニア狂詩曲』『オイディプス』
→毎年9月に彼の名をとったエネスク国際音楽祭がブカレストで開かれている
・音楽(声楽家)=アンジェラ・ギョルギュー(1965-)
<スポーツ>
・体操選手=ナディア・コマネチ
→1976年のモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得
・サッカー選手=ギョルゲ・ハジ
次回もお楽しみに🇷🇴🎶
こんにちは!(Buna ziua!)
「ルーマニア」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは「ドラキュラ」だ!という方は多いのではないでしょうか?(笑)そんなドラキュラは吸血鬼のイメージが強いと思うのですが、実は英雄であったということをご存知ですか?
今回はそんなドラキュラに関するゴシップを気軽に読んでいただけるよう箇条書きでお伝えしたいと思います🧛
・1897年、アイルランドの作家ブラム・ストーカー作の小説『吸血鬼ドラキュラ』が発売される
→ドラキュラ伯爵の故郷は、ルーマニアのトランシルヴァニア地方の一角に聳える古城という設定
→物語は、主人公のジョナサン・ハーカーがロンドンからルーマニアの(実在の)町、ビストリツァに到着し、ドラキュラ伯爵に会いに行くところから始まる
→ただし、物語の作者は一度もルーマニアを訪れたことがない
→ドラキュラの故郷は東ヨーロッパの辺境の地、封建的な中世の香がする場所としてトランシルヴァニアが選ばれた
・ルーマニアにはドラキュラ城という名のホテルがある
・ドラキュラのモデルは15世紀のワラキア公となったヴラド3世、別名串刺し公。
→トルコ兵を見せしめのために串刺しの刑にしたことからそのようなあだ名がついた
→残虐な王として怒られた一方、オスマントルコと勇敢に戦った英雄としての一面もある(1462年にメフメト2世をワラキアから退去させた)
・ドラキュラの居城のモデル=ブラン城
→オスマン兵などの敵を監視し、ブラショフに入るのを食い止めるために1377年に築かれた
→ルーマニア一番の観光地として多くの人が訪れる人気スポット
いかがでしたか?ドラキュラに関するゴシップが本当かどうかを確かめるために是非ともルーマニアを訪れてみてください👀❗️
次回もお楽しみに🇷🇴🎶