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Ana Aslan(アナ・アスラン)

2025年 11月 30日

皆さん、お久しぶりです!

 この間ふと思いついたことがあるんですけど、Gerovital(ジェロヴィタール)という言葉は聞いたことがありますでしょうか。

 Gerovitalは、ルーマニアの有名なコスメブランド名でもありますが、治療薬の名称でもあります。今回は、このGerovitalを開発し、世界中の人々に幸せを与えたアナ・アスラン博士を紹介したいと思います。

 アナ・アスラン博士はルーマニアの有名な科学者の一人です。一生研究に全力を尽くした彼女が特に老人学に大きく貢献したことで、世界的に名高い存在として知られるようになりました。

 アナ・アスランは、1897年にルーマニアのブライラ市(Brăila)に生まれました。教育を大切にするアルメニア系の家族の末っ子で、13歳で父を亡くした彼女が老化と闘うことを決意しました。

 家族そろってブカレストに引っ越してからアナが高名なȘcoala Centrală高等学校に入学しました。高校最終年の頃、人体解剖学に興味を持つようになり、医師になることを決意しました。当時、母の反対に反発し、3日間も自分の部屋に閉じこもったアナが結局医学部に進学する許可を得ました。

 ここからアナ先生の長年にわたる活躍が始まります。第一次世界大戦中は輪軍病院で看護師として働き、後ほど神経学の博士としても活躍しました。そして医学史上の転換点ともいえる出来事が1950年代前半に起こります。当時、アナ先生がコンスタンティン・パルホン氏の下でプロカイン治療の効果作用を研究していました。その結果、プロカインがリウマチに効果をもたらすことを発見し、後ほどその一環としてジェロヴィタールH3(Gerovital H3, GH3)の開発を進んでいきました。

 1952年には、アナ先生の主導により、世界初の老人医学研究所がブカレストに設立されました。1957年、ジェロヴィタールは正式的に新治療薬として認められ、30カ国以上で特許を取得しました。さらに、GH3に改良を加え、特に神経系への効果をより高めた製剤がアスラヴィタールです。両者は 1961 年から 10 年間の臨床試験後、1971 年に国家的な生産が開始されました。

 その後、永遠の若さ」を求めて、俳優、億万長者、国家元首がブカレストを訪れるようになりました。アナ先生の有名な患者の中からフルシチョフ、サルバドール・ダリ、チャーリー・チャップリン、ジョン・F・ケネディ、マレーネ・ディートリヒ、シャルル・ド・ゴール等の名が挙げられます。

 この時期、アナ先生の活躍はルーマニアに年間1700万ドルもの収益をもたらしました。また統計によれば外国人観光客の10%が治療のためにルーマニアを訪れていたそうです。

 アナ先生は優れた科学者だけではなく、非常に優雅な女性でもありました。イタリアから衣装を仕入れ、そして宝飾品やフランス料理、高級酒、そしてショパンの音楽を好んでいたと言われています。また、アナ先生に迷信深い一面もあり、フクロウの小像を収集していたとも伝えられています。

 1974年、アナ先生はルーマニア学士院の一員に選出されました。彼女は生涯を通じて世界保健機関の「レオン・ベルナール」国際賞・メダルをはじめ、数多くの国際的な賞を受賞しました。またブラジルのブラガンサ・パウリスタ大学の名誉教授・博士で、ニューヨーク科学アカデミーなどの多くの学会や科学協会の会員でもありました。

 しかし、アナ先生の成功と人気は、当時の共産主義当局の妬みをもたらしました。1980年代初頭、彼女は老人ホームで高齢者に料金を請求せず国家の重要な収入源を損なったとして起訴されました。数年にわたる闘いの末、勝訴しました。彼女が亡くなる、わずか1年前のことでした。

 最後に、アナ先生の言葉を共有したいと思います。彼女は一生、時間を打ち勝つ願いを持ち、高齢者でも健康で活発な生活を送ることが可能なことを世界に見せました。「私は基本的に現在と未来に生きています。過去のことは考えていません。過去を覚えてさえいません。そして、私を支えてくれた一つは、後悔がないことだと信じています。」「人は老いて死ぬのではなく、病気で死ぬのです。」

これらの楽観的で明るい言葉をもって今回のお話を終らせたいと思います。

Gerovitalとは、アナ・アスラン先生によるブランドです。日本でも人気のあるスキンケアを生産しています。その中には、Aslavitalというシリーズもあります。


オラデア旅日記

2025年 9月 21日

皆さん、bună ziua!

わたしは、東京に住んでいるルーマニア人の留学生だ。今年の冬休み期間は帰国して、家族、友達と時間を過ごしたり、故郷の味を籠ったおばあちゃんのおいしい家庭料理を食べたり、いろいろな所を訪れたりし、充実した。

今日は、訪れた所の中から、魅力的な町を一つ紹介したい!

それは、オラデア(Oradea)という都市だ。

寒くて晴れた2月の日のこと。家族と一緒に車に乗って旅立った。

Oradea

東南のブカレストから西北のオラデアまでかなりの距離があるから、途中でピテシュティ市のおばあちゃんのところに一泊を過ごしてから、次の朝に出発した。国の西にあるアプセニ山脈を渡って、いよいよ到着した。

歴史に富んだ、美しいオラデア市。この町に初めて足を運んできた私たちが一目ぼれになった。

最初にに行ったのは、オラデア要塞だった。この要塞は、ハンガリーの国王ラースロー1世(1040-1095年)によって建てられて、歴史上、時にはハンガリー/オーストリア=ハンガリー帝国、時にはルーマニア(トランシルヴァニア地域)に所属していた。

中世の時に、要塞は今日の都市の民族構成の基盤となって、ルーマニア人、ハンガリー人、オーストリア人、スロバキア人、ユダヤ人、ルテニア人、トルコ人といった、色々な民族が共存する場所となった。要塞の立派な壁の内側に現在は、博物館がある。

古代から現代まで、時代ごとの、オラデア要塞と地域だけではなくて、ルーマニア全国に関わる歴史上の重要な出来事の展示がある。

まるで時間旅行の気分だった。

博物館のホームページはこちらです。

https://mtariicrisurilor.ro/en/oradea-city-museum

https://www.oradeaheritage.ro/cetatea-oradea

久々にルーマニアの料理を食べているわたしは、

天国にいるかのような気分だった(笑)

月の教会:オラデア市で最も象徴的なモニュメントのひとつの「月の教会」は、熟練の技術と機械が見事に融合したもので、それが教会の塔にある時計の機構に調和している。

共和国通り(Calea Republicii)のアールヌーボー建築の鮮やかな建物が町の心を写している。

聖ラディスラウ橋を渡って国立劇場を見渡すと、オラデアにはまだまだ魅了的な場所がたくさんあるとわかる!カレア・レプブリチィ(共和国通り)は、市内で一番長い歩行者専用道路で、美しいポイナル邸から始まっていて、カフェとクラブや、アンティークショップやお土産屋等、皆に楽しめるものがたくさんあるよ。

(私たちが冬季に行ったから、寒い天気で町が眠っていたと感じていたけど(笑))今度、夏に行きたい!

ルーマニアに旅に来る人は、オラデア市も必見だと思う。ルーマニア人のわたしにとっても勉強になって、先祖から受け継いだ遺産を守らなければならないということも改めて感じた。


Cover Image

クリスマスの歌「キャロル」とキャロリング

2025年 9月 12日

 皆さん、この写真が何を写しているか、ご存知ですか?

 これは、キャロリングという、ルーマニアの昔からあるクリスマス習慣です。

今のところ、クリスマスはまだまだ先ですが、キャロリングにはかなりの準備が必要です。(笑)

 そもそも、キャロリングとは何か、どのような由来があるのか、そして現在はどうなっているのか…色々な質問が思い浮かぶかもしれません。ここで基礎知識を少しまとめていきたいと思います。

 キャロリング(ルーマニア語: colindat)は、簡単に言えばキャロル(ルーマニア語: colind)を歌うことです。しかし、それだけではなく、歌いながら近所の家々を歩き回り、人々に知らせます。何を知らせるかというと、キリスト(正教会では、ハリストス神様という)の誕生(降誕)です。これは、キリスト教の一つの大切な年中行事で、「降誕祭」とも名乗っています。つまりルーマニアの伝統において、キャロルは冬の期間(12月24日から1月6日まで)の祝祭に行われる、祝福や祝賀の役割を持つ古代の儀式的な歌です。

 キャロルの由来は、昔のローマ帝国における、異教のサートゥルナーリア祭に関連があるそうです。サートゥルナーリア祭は、サトゥルヌス、クロノス、ミトラの神々のために乱痴気騒ぎの娯楽が開催されていた冬季の祭でした。やがて、サートゥルナーリア祭が行われなくなりましたが、その習慣の中から伝わっていった習慣もあり、キリスト教の導入と共にそれらが再解釈されました。

 12月24日の晩、近所の子供たちが集まり、家々を歩き回ります。次々と、各家のドアを叩き、「キャロル、もらいます?」(「キャロシングしに来た人を聞いてもらいますか?」という意味)と中の人に伺います。家の中の人がドアを開けたら、歌い始めます。一曲だけを歌う人もいれば、複数を歌う人もいます。わたしは、いつもただ一つの曲で満足ではなく、たくさん歌っていました。(笑)

いよいよ子供たちが歌い終わったら、家の人が感謝の印として様々な物をあげます。元々は、りんごやくるみ、プレッツェルといった物を配っていましたが、最近は甘いものやお金をあげることが定番になっています。

 物をもらうのは嬉しいが、逆に人々に喜びを配るのがどれだけ幸せなことでしょうか!そして、自分が生まれていなかった過去に生きていたかのような懐かしきキャロルの歌詞と旋律を味わいながら神様がこの世に生まれたというメッセージを伝えるのが…この世を超えた体験だと、わたしは思っています。

 有名なキャロルの中から、”Steaua sus răsare” (明ける星), “La Vifleem colo-n jos”, (下方のベツレヘムで)“Trei crai de la răsărit”(東方の三博士)などが挙げられますが、最近ビザンツ風のキャロルも流行っています。これらはより洗練されたもので、伝統的なキャロルの彩りよりも宗教的な側面が強いです。

降誕祭のイコン

 毎年、ルーマニアだけではなく、東欧の国々がキャロルによってハリストス神様の降誕を報告しています。わたしはルーマニア人として、ラテン語系の言葉とバルカン系の精神を混合したキャロルを大切にして世界中の人々に知ってもらいたいと思っています。


ルーマニアのイースター

2024年 2月 25日

こんにちは!(Buna ziua!)

 

今回は、ルーマニアの行事についてご紹介したいと思います。

それはイースターです!🐣🌷

 

※イースターの写真

 

日本でもイースターという言葉は浸透していますが、イースターはイエス・キリストの復活祭であるため、何か特別なことをしたりお祝いしたりする家庭は日本では少ないのではないでしょうか?

 

しかし、ルーマニアでは多くの国民がルーマニア正教を信仰しているため、イースターというのはとても大切な行事であり、各家庭で盛大に祝われるのです。

それでは具体的にイースターにはどのようなことをするのか、いくつかのトピックに分けて紹介していきたいと思います!

 

(1)イースターの時期について

まず、イースターがいつ行われるのかということについてですが、ルーマニア正教のイースターの場合、春分の日が過ぎた後に現れる最初の満月の次の日曜日に行われるそうです。

 

(2)イースター前の大切な準備

次に、イースターを迎えるための準備として、ルーマニアの人々は断食を行うそうです。断食と聞くと厳しいイメージを持ってしまいますが、断食と言ってもルーマニアの場合はイースターの七週間前から肉類と乳製品が禁止されるというものであって、一日で何回も食べることは許されているため、つまり一時的にベジタリアンになるという感覚です。

 

(3)びっくりする風習その1

イースターヴィジル(Easter Vigil: イースターの前夜の日没後に行われる礼拝)のために、教会の近くや丘で火が灯されることがあります。ブコビナなどの地域の田舎で目撃できるこの伝統は、暗闇(悪)を追い払い、冬を追放し、春を歓迎するのに役立つはずです。

 

(4)びっくりする風習その2

男の子が彼らのコミュニティの中の未婚の女の子を訪問し、幸運のために、または早く結婚できるようにと水や香水をかけるということです。

 

(5)イースターエッグ

※赤く染められたイースターエッグの写真

 

ルーマニアの人々はイースターの際、自分たちで卵を赤く染めて食べる風習があるそうです。

 

なぜ赤く染めるかというと、次のような伝説があるからです。

聖母マリアが磔刑されている最中の息子、イエスに会いに来た際、卵の入った籠を彼の足元に置いていきました。その籠の中には卵が入っていましたが、次第に卵がイエスの血で赤くなったそうです。

この話から、イエスの純粋な血で赤く染められた卵は犠牲の一つのシンボルになったそうです。

 

卵を赤く染めるために、昔は玉ねぎの皮や他の野菜の葉っぱが使われたそうですが、現在はより染めやすい着色剤が一般的に用いられるそうです。

 

また、赤以外にも伝統的なモチーフを用いて卵を装飾することもあり、地域によって柄が異なるそうです。特に有名なのがブコヴィナ地方のもので、複雑で細かな装飾が施された卵はまるで芸術作品のようです😳

 

※ブコヴィナ地方のイースターエッグの写真

 

また、イースターエッグを食べる際に、

「キリストが復活した」(ルーマニア語で「Cristos a înviat」

「確かに、彼は復活した」(ルーマニア語で「Adevarat a înviat」)

という言葉を言ってから卵を割る風習があるそうです。

 

(6)イースター料理その1

イースターの際にルーマニアの人々が食べる料理として「パスカ」というものがあります。

 

※パスカの写真

 

これは、ルーマニア発祥の伝統的なイースターブレッドで、甘いチーズケーキのようなものだそうです。主にリコッタチーズや牛のチーズ、レーズンを用いて作られるものが一般的です。

 

このパスカは喜びを表すものとして、イースター以外にクリスマスや結婚式の際にも食べられるものだそうです。

 

(7)イースター料理その2

※ドロブの写真

 

イースターの際にパスカと並んでルーマニアの人々が食べるのが、「ドロブ」という料理です。これはミートローフのような料理で、真ん中にゆで卵を入れるのが特徴的です。また、イエス・キリストは自分自身を犠牲にしたとして「神の子羊」と考えられていることから正教では羊肉が象徴となっていることから、ラム肉を用いるというのも特徴的です。

 

いかがでしたか?日本とは異なるルーマニアでのイースターの過ごし方がわかっていただけたと思います。

春にルーマニアを訪れた際には是非ともルーマニアのイースターを体感してみてください🐰

 

次回もお楽しみに🇷🇴🎶


クルージュ=ナポカ

2024年 2月 12日

こんにちは!(Buna ziua!)

 

今日はルーマニアの中でもあまり知られていない、トランシルヴァニア地方の中心部にある都市、クルージュ・ナポカについて取り上げたいと思います!なぜかというと、この都市は「学生の街」として知られていて、ルーマニア最大の学生人口を誇る活気あふれる街だからです!

では、さっそく見ていきましょう👀

 

(1)クルージュ=ナポカはどんな都市?

 

※クルージュ=ナポカの街並みの写真

 

クルージュ・ナポカはトランシルヴァニア台地の北西部を流れるソメシュル川にまたがる地域にある都市で、人口は32万人と比較的大都市であると言えます。もともと、13世紀にサクソン人がトランシルヴァニアに建設した7つの要砦都市として発展しました。この都市はハンガリー系の住民が2~3割を占めると言われており、レストランやお店からはハンガリー語も聞こえてくるそうです🗣️

 

(2)聖ミカエル教会

 

※聖ミカエル教会の写真

 

この教会はゴッシク様式の建物で、クルージュ=ナポカのシンボル的な教会となっています。塔の高さは先端の十字架まで含めると80mもあり、トランシルヴァニアで最も高い建物とされています

 

(3)セントラルパーク

 

※セントラルパークの写真

 

この公園は市民の憩いの場となっている公園で、中心街から少し西にそれたソメシュル川沿いにあります。180年以上の歴史があり、クルージュ・ナポカの有名な建築家であったLajos Pákeiによって設計されました。現在ではこの公園で多くのイベントが開催されたり、冬は園内の湖が凍ってアイススケートリンクに変身したりと、市民にとっては欠かせない場所となっています。

 

上記で紹介した以外にも、トゥルダ岩塩坑と呼ばれる岩塩の採掘場を見学することができたり、おしゃれなレストランやカフェ、古着屋さんもあったりと観光もショッピングも楽しむことのできる魅力あふれる都市となっています☺️

 

次回もお楽しみに🇷🇴🎶

 


ルーマニアの人々の旅行事情

2024年 2月 1日

こんにちは!(Buna ziua!)

 

ルーマニアの人々が旅行をする際、季節によって異なる目的地を選ぶのでしょうか?

 

<一年を通じての傾向>

季節に関わらず、ルーマニアの人々にとって人気のある国はイタリア🇮🇹であり、また人気のある都市は、驚くべきことに、イタリアの都市ではなくロンドン🇬🇧だそうです

 

<春の傾向>

春の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りです。

1位 イタリア🇮🇹

2位 スペイン🇪🇸

3位 イギリス🇬🇧

4位 フランス🇫🇷

5位 ドイツ🇩🇪

 

また、都市における人気ランキングは以下の通りです。

1位 ロンドン🇬🇧

2位 ミラノ🇮🇹

3位 パリ🇫🇷

4位 ローマ🇮🇹

5位 ブリュッセル🇧🇪

 

ルーマニアの人々にとって、春は長期の旅行を予約する傾向にあり、15%の人が4~6日、8%の人が7~10日の旅行を計画するそうです。

 

<夏の傾向>

夏の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りで、4位と5位が入れ替わっただけです。

1位 イタリア🇮🇹

2位 スペイン🇪🇸

3位 イギリス🇬🇧

4位 ドイツ🇩🇪

5位 フランス🇫🇷

 

また、都市における人気ランキングは以下の通りで、同じく4位と5位が入れ替わっただけです。

1位 ロンドン🇬🇧

2位 ミラノ🇮🇹

3位 パリ🇫🇷

4位 ブリュッセル🇧🇪

5位 ローマ🇮🇹

 

ルーマニアでは、夏が最も多くの人が旅行をする季節である。冬と比較して、フライトはおよそ30%も増加するそうです。

また、春と同じく長期の旅行が多く、11%の人が7~10日の旅行を計画するそうです。

 

<秋の傾向>

秋の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りで、気温が春と似ていることからランキングは春と同様です。

1位 イタリア🇮🇹

2位 スペイン🇪🇸

3位 イギリス🇬🇧

4位 フランス🇫🇷

5位 ドイツ🇩🇪

 

また、都市における人気ランキングは以下の通りで、こちらも春と同様です。

1位 ロンドン🇬🇧

2位 ミラノ🇮🇹

3位 パリ🇫🇷

4位 ローマ🇮🇹

5位 ブリュッセル🇧🇪

 

<冬の傾向>

冬の旅行先として人気のある国のランキングは以下の通りです。

1位 イタリア🇮🇹

2位 イギリス🇬🇧

3位 スペイン🇪🇸

4位 ドイツ🇩🇪

5位 フランス🇫🇷

 

また、都市における人気ランキングは以下の通りです。

1位 ロンドン🇬🇧

2位 ミラノ🇮🇹

3位 ブリュッセル🇧🇪

4位 ローマ🇮🇹

5位 パリ🇫🇷

 

クリスマーケットが有名であることから、冬だけウィーンが人気都市ランキングTOP10に入るそうです。

 

いかがでしたか?国としてはイタリアが一番人気であるものの都市としてはイギリスのロンドンが一番有名であるということが意外でした😳

 

次回もお楽しみに🇷🇴🎶


1月24日

2024年 1月 25日

こんにちは!(Buna ziua!)

 

突然ですが、昨日、1月24日はルーマニアでは祝日であるということをご存知ですか?

なぜかというと「ルーマニア公国統一の日」だからです!

今日はこのことについて、ルーマニアの歴史とともにご紹介したいと思います。

 

そもそも、1859年1月24日にルーマニア公国が統一されたのですが、統一に至った経緯をまとめてみると以下の通りです。

 

14世紀ごろ ワラキア公国とモルダヴィア公国が存在

→ワラキア公国はルーマニア南部、中世ではハンガリーの支配を受けていたものの、1330年に自立

→モルダヴィア公国はルーマニアとモルドバの国境にあり、1359年に成立

1395年 ドナウ川を超えて北上してきたオスマン帝国のバヤジット1世によってワラキアが征服される

→その後1420年にモルダヴィアも征服される

19世紀 ロシアの南下政策により、ワラキア、モルダヴィアはロシアの保護国となる

1856年 クリミア戦争の講和条約であるパリ条約によりロシア軍は撤退したものの、ワラキアとモルダビアの独立は認められなかった

1859年 先祖や話す言語が共通であったことからワラキアとモルダヴィアは統一を果たし、ルーマニア公国が成立

 

いかがでしたか?バルカン半島はすごく複雑な歴史を歩んできたということがよくわかると思います。今回の投稿を通して、ルーマニアの成り立ちが少しわかっていただけたのではないでしょうか?

 

次回もお楽しみに🇷🇴🎶

 


トランシルヴァニア地方の要塞教会群

2024年 1月 17日

こんにちは!

 

今日は世界遺産にも登録されている、トランシルヴァニア地方の要塞協会群についてご紹介したいと思います。

 

そもそも、トランシルヴァニア地方というのはルーマニア中部のカルパチア山脈に囲まれたところに位置しており、ドイツやハンガリー系の入植者たちが拓いた村が点在しています。14世紀から17世紀にオスマン帝国が勢力を拡大すると、その脅威に対抗するために要塞の機能を備えた教会を中心に集落を作るようになりました。最盛期の1600年ごろには600の要塞教会が作られたのですが、現在残っているのはおよそ半分ほど。そして、中でも保存状態の良い7カ所が現在世界遺産に登録されています。

その7カ所とは以下の通りです。

 

・ビエルンタン要塞教会

  →大きなシャンデリアとタペストリーが特徴

・プレジュメル要塞教会

  →高さ12mの城壁があるのが特徴、「死のオルガン」と呼ばれる武器がある

・ヴィスクリ要塞教会

  →教会内にロマネスク様式のアーチや聖壇、彫刻などの美術作品が残っている

・カルニク要塞教会

  →19世紀に新ゴシック様式に再建築された

・サスキズ要塞教会

  →高さ7~9mの石造りの城壁に囲まれていて、天守閣がついているのが特徴

・ダルジュ要塞教会

  →ロマネスク様式とゴシック様式が組み合わさっているのが特徴

・ヴァレア・ヴィイロル要塞教会

  →教会内には16世紀当時の家具や礼拝道具が残されている

 

いかがでしたか?教会によってそれぞれ異なる特徴を兼ね備えていることがわかりますよね!ぜひ7カ所すべて訪れて見比べてみてほしいです👀

 

次回もお楽しみに🇷🇴🎶


ルーマニアの有名人

2024年 1月 9日

こんにちは!(Buna ziua!)

ルーマニアの有名人として誰が思い浮かぶでしょうか?おそらく真っ先に思い浮かぶのは、チャウシェスクでしょう。実はチャウシェスク以外にも有名人が多く、しかも様々な分野において輩出しているのです。今日はそんなルーマニアの有名人をご紹介したいと思います。

 

<学術>

・ノーベル賞(生理学・医学賞)=細胞生物学者ジョルジェ・パラーデ

・ノーベル賞(文学賞)=ユダヤ人作家エリー・ヴィーゼル

・政治=チャウシェスク(1918-89)

・文学(詩人)=ミハイ・エミネスク(1850-89)

・文学作家&宗教学者=ミルチャ・エリアーデ(1907-86)

→代表作:『永遠回帰の神話』『世界宗教史』

・科学=トラヤン・ヴヤ(1872-1950)

→アメリカのライト兄弟とほぼ同時期にフランスで飛行機の開発を進めた

 

<芸術>

・美術=画家ニコラエ・グレゴレスク(1838-1907)

→風景画・ルーマニア近代絵画の祖と言われている

・美術=彫刻コンスタンティン・ブルンクーシュ(1876-1957)

→代表作:『空間の鳥』『無限性』

・音楽(作曲家)=ジョルジェ・エネスク(1881-1955)

→代表作:『ルーマニア狂詩曲』『オイディプス』

→毎年9月に彼の名をとったエネスク国際音楽祭がブカレストで開かれている

・音楽(声楽家)=アンジェラ・ギョルギュー(1965-)

 

<スポーツ>

・体操選手=ナディア・コマネチ

→1976年のモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得

・サッカー選手=ギョルゲ・ハジ

次回もお楽しみに🇷🇴🎶


ルーマニア発祥のスポーツ

2023年 12月 21日

こんにちは!(Buna ziua!)

 

突然ですが、実はルーマニア発祥のスポーツがあることをご存知ですか?そのスポーツの名はズバリ、、、「オイナ」です!おそらく、初めて耳にする方が多いのではないかと思います。今回はそんなオイナについて、みなさんにご紹介したいと思います!

 

そもそも、オイナとは現在の野球のルーツとも言われているスポーツで、ボールをバットで打ち、相手チーム側が投げてくるボールを避けて得点を目指すという、野球とドッジボールが合わさったようなスポーツです。1チーム11人で行うチーム競技で、70m×32mの芝生で行われるのが一般的です。公式のルールは1898年にブカレスト大学の教授によって定められたそうです。

 

野球とドッジボールが組み合わさったような独特なスポーツ、オイナ。みなさんも機会があればぜひプレイしてみてほしいです!

ちなみに、ルーマニアで最も人気のあるスポーツはサッカーで、レアル・マドリードやFCバルセロナなどの有名チームでルーマニア出身の選手が活躍しているそうです。そのため、オイナはあまり盛んに行われているとは言い難いのですが、国技として学校の授業で行われていたりと、ルーマニアにおいて重要なスポーツとなっています。

次回もお楽しみに🇷🇴🎶